冠婚葬祭の中でもっとも一番義理を通しておかないといけないのが「葬」と言われている。
「村八分」という言葉にもそれが如実に表現されている。
村社会では村の決め事を守れない人間は仲間外れにしていた。
それを村八分というのは皆さんご存じの通り。
ではなぜ村八分というのか?
八分というからにはもちろん「十分」が存在する。
十分とは村民間の「交際」を意味している。
交際とは「冠、婚、葬、建築、火事、病気、水害、旅行、出産、年忌」の事。
村八分とはこの中の「葬」と「火事」の二つ以外の交際をしない事を意味している。
逆に言えば村八分になってもこの二つのお付き合いだけはしますよという事になる。(村八分の意味については所説有り)
自分なりの解釈だが近隣の火事をほっておくと自分達にも火の粉が降りかかる。
また仏になられた方まで村八分にするのは忍びないという仏教的な考え方が働いているのではないだろうか?
ここで話を戻そう。
だから人は可能な限り「葬」の義理だけでも果たしておきたいという意識が必要だ。
ところで「葬」の義理を果たされた側には次の仕事が生まれる。
それが香典返しだ。
地域性もあると思うが概ね「お茶」、「海苔」、「日本酒」が多いのではないだろうか?
日本酒にはもちろんお浄めの意味合いがある。
香典返しは概ね常温で日持ちするものと相場が決まっている。
ただ自分的に困っているのがお茶なのだ。
我が家にはお茶を急須に入れて飲む習慣が皆無だ。
自分は根っからのコーヒー党だ。
だからお茶を頂いてもとにかく減らない。
そこに追い打ちをかけるように香典返しのお茶が溜まっていくのだ。
これは我が家に限った話ではないと思う。
そもそも香典返しは必要だろうか?
これで思いだすのが北海道の結婚式だ。
会費制の結婚式は素晴らしいシステムだと思う。
ご祝儀は皆でまとめて購入した家電程度。
一部の親族は現金で渡す場合もあるらしいが概ね自分の飲食代金のみ。
香典返しもこのシステムで良いと思う。
つまり「お返し無の気持ちだけ」にするのだ。
自分はお茶業界の商売の邪魔をするつもりは毛頭無い。
ただ賞味期限切れで廃棄されていくお茶を見ていると「恵方巻き」と同じ食品ロスに見えてくる。
香典返しは不要。
皆さんはどう思われるだろうか?