日本の学校教育においては中学高校と6年間プラス大学に進学された方は英文科でなくても最低2年程度は英語教育を受けていることになる。
なんと8年だ。
8年も英語教育を受けているのに見についていないのは国の教育制度がいけないのか個人が悪いのかという話になる。
概ね自分のまわりの人を見ているかぎり国の教育制度に問題があるのだろう。
先日、テレビ番組の中で関西の進学校の英語教育に触れていた。
音楽や体育などの右脳教育の場にネイティブな英語の先生による英語の授業が行われていた。
そうなのだ。
英語を話す事はは手段であって目的ではないのだ。
だから英語を学問として勉強する事こそナンセンスなのかもしれない。
そもそも帰国子女と呼ばれるバイリンガルな子供達が英語を海外で勉強してきたとは思えない。
皆1歳から2歳という脳がもっとも発達する時期に英語の環境下にいただけなのだ。
そこには文法の概念はない。
日本人だって学校にいってもちろん日本語の文法は習うが、文法を知らなくても幼稚園の子供達の日本語の会話にはほとんど違和感がないのだ。
そう完全に無視して良いわけではないが、文法が多少間違っていても会話は成立することになる。
「ホングリッシュ」という言葉をご存じだろうか?
サッカー選手の本田圭祐の使うブロークンの英語の事だ。
「ホンダ」と「イングリッシュ」と掛けあわせて「ホングリッシュ」と言われているのだ。
一般的な英語の文法は時々無視されているが、ニュアンスは通じている。
要はこれで良いのではないだろうか?
日本人は英会話をしたいという裏側に「完璧な英語を話したい」という発想がある。
それではいつまでもたっても英会話をする事はできない。
まずは喋ってみる事が重要なのだ。
そのうち「あなたの表現は間違っている。このように言うべきだ」という会話まで理解できるようになる。
特に東南アジアの人々はこのブロークン英会話術が見事だ。
彼らは英語を覚えようとして英語を勉強しているわけでない。
皆、日々の生活のために道具として英語をしゃべっているのだ。
2020年の東京オリンピックに向けて増える海外からの観光客。
あなたの流暢な英会話が最高のおもてなしになるかもしれない。
勇気をもって海外からの観光客に話かけてみたらどうだろう。