「傘がない」は1972年にリリースされた井上陽水の名曲だ。
当時、高校生だった自分はこの歌の歌詞にかなりの衝撃を受けた。
「こんな歌詞を書く人が日本がいたんだ。」と思った人は自分だけではなかったのではないだろうか?
歌詞は主人公が新聞を読んでいるところから始まる。
当時の世相として「自殺」する若者が増えている事を説く記事。
当時、歌謡曲やフォークソングの中で「自殺」という言葉を使う事はタブーだったのか聞いた事がなかった。
若者が聞くフォークソングのテーマとしてはあまりにも重い。
ところがその歌詞は思わぬ所に繋がっていく。
ところがあいにくその日は雨。
実は主人公はその日デートだったのだ。
そのデートに行くための「傘」がない事が彼にとっては大問題だったのだ。
とにかく「逢いたい」と繰り返し聞くたびに確かに若者の自殺の記事なんて大した記事ではないと思えてくるのだ。
そして歌詞は二番へ。
主人公は今度はテレビを見ている。
その内容は意外や国会中継もしくは政治討論会のようだ。
その議題は「日本の将来の問題」で、皆深刻な顔をしている。
でも主人公のその日の悩みはやはり彼女の会うための「傘」が無い事。
それを考えだしたら「日本の将来の問題」なんてどうでも良くなってしまうのだ。
当時は学生運動も終わり政治的無関心が広がりつつある頃だった。
その時代に合いまった歌詞に仕上がったのかもしれない。
もし今この曲がリリースされても、「タクシーを呼べば良いじゃないか?」とか「スマホで話せば良いだろう」と突っ込まれそうだ。
以前の記事で「天才な詩人達」に触れたことがあるが、この井上陽水もその一人だと思う。
たとえば「夢の中へ」だ。
この「探し物を探す」という日常生活の当たり前の作業を何故か最後は「自分と踊りませんか」と結ぶその斬新さ。
きっと探しものをしている人がかなり滑稽に見えたのかもしれない。
「東へ西へ」の歌詞も斬新だ。
「満員電車の中で床に倒れた老婆が笑う」とか「花見の席で君はうれしさあまって気がふれる」という表現だ。
もちろん誇大表現しているのだと思うが、およそポピュラーソングの歌詞に思えない。
特にシンガーソングライターはメロディーと平行して詩が思い浮かぶ人もいる。
すべてその時の感性なのだ。
そしてその感性にどれだけ賛同の手が挙がるのかでミュージシャンとしての評価がされる。
そう井上陽水は作曲も含めて天才だと自分は思っている。