「あざまる水産」という言葉をご存じだろうか?
実は2018年の「ギャル流行語大賞」で5位に入っている言葉だ。
「水産」という言葉を見て居酒屋関係と思った人はかなり観察力がある人か呑兵衛だと思う。
「磯丸水産」は破竹の勢いで関東、愛知、近畿圏で店舗網を増やしている居酒屋だからだ。
もちろん「水産」という言葉はこの「磯丸水産」から由来しているが「あざまる水産」は居酒屋の事ではない。
それでは「あざまる」とはどこから来ているのか?
実は「感謝の言葉」だったのだ。
「ありがとうございます。」が「あざっす。」に変化して更に「あざす。」に変わる。
更に変化して「あざ。」となる。
わかるだろうか?
最後の句読点の「。」を読んで「あざまる」を最終形となる。
そして「まる」という言葉の響きから先ほどの「磯丸水産」の「水産」と結びついたようだ。
ここまで変化してしまうと未来の言語学者は相当困るのではないだろうか?
さてこの「あざまる水産」の使い方だが至って簡単だ。
単純に「有り難う」の変わりに使うだけだ。
しかしこのような前半に本来の意味があり語呂で後半の言葉とつぎあわせる造語は意外とある。
最近の流行では「了解道中膝栗毛(りょうかいどうちゅうひざくりげ)」という言葉がある。
もちろん語呂になっているのは十返舎一九の「東海道中膝栗毛」だ。
「了解」という言葉を返すのが本来の意味だが、後ろの言葉を語呂として合わせているのだ。
自分達の世代でも結構あると思う。
「てなもんや三度笠」で一世を風靡した藤田まこと扮する「あんかけの時次郎」の決め台詞だった「あたり前田のクラッカー」だ。
今から思うとかなりスポンサーの意向を組んだ台詞だが流行語になっている。
また自分などは「飛んでも八分歩いて十分」という言葉を良く使った記憶がある。
ウィットに飛んだ素晴らしい言葉だと思う。
そう考えると「近頃の若い子はくだらない言葉を流行らせる」なんて事は思えなくなってくる。
言葉は生き物だ。
その時代の情勢に応じてどんどん新しい言葉は生まれてくるのは歴史上の事実と捉えないといけないのかもしれない。
とはいえ我々シニア世代が「あざまる水産」という言葉を街中で使えるだろうか?
辞めておいたほうが無難だ。
「感謝の言葉」という意味だけ知っておけば恥をかくこともないだろう。