東海道・山陽新幹線で駅が多いのは静岡県だ。
熱海駅、三島駅、新富士駅、静岡駅、掛川駅、浜松駅と6駅もある。
駅が多い割にはのぞみ号が停まらないと不満の多い静岡県民も多いだろう。
ちなみに広島県(福山駅、新尾道駅、三原駅、東広島駅、広島駅)と山口県(新岩国駅、徳山駅、新山口駅、厚狭駅、新下関駅)が5駅と続く。
このうち新富士駅、掛川駅、新尾道駅、東広島駅、厚狭駅などは請願駅なので後から加わっている。(掛川駅は在来線の既存の駅に新幹線ホームが作られた。また余談だが東海道線における三島駅も元々は請願駅だ。)
という事で東西に長い静岡県を除けばせいぜい一県に3駅から多くても4駅が普通である。
ところで山陽新幹線が岡山駅まで開通した際に不思議に思った事があった。
それは兵庫県に4駅も配置されたからだ。
新神戸駅、西明石駅、姫路駅までは納得がいくが相生駅には驚いてしまった。
関東在住の自分としては未知との遭遇だった。
一般的な知名度からすれば相生市の西側にある「播州赤穂駅」がセオリーだろう。
でも何故か相生駅になってしまったのだ。
山陽新幹線開業当時の相生市の人口は約4万人。
以前はIHI(石川島播磨重工業)の造船所があったとはいえ新幹線が停車させるにはあまりにも寂しい駅だ。
新幹線を停車させる理由をあえて言うなら山陽本線と赤穂線の分岐点というところだけだろう。
播州赤穂駅が新幹線の停車駅にならなかったのは赤穂線という支線の駅だったからかもしれない。
ちなみ山陽新幹線開業当時の赤穂市の人口は約4万5000人で相生市を上回っていたようだ。
この駅の誘致に熱心だったのが旧相生村(現在の相生市)出身で通商産業大臣や郵政大臣などを歴任した河本敏夫氏だ。
相生市の名誉市民にもなっている。
実はこの誘致の背景に当時の国鉄が画策していたある計画があったらしい。
それが「夜行新幹線」だ。
深夜に新幹線を走らせて輸送量を増やそうとする計画だった。
ただそこでネックになるのが深夜の定期的な保守点検だ。
深夜に新幹線を走らせると線路の保守点検が出来なくなる。
そこで出てきた案が「単線運行」になる。
保守点検をしている線路の反対側の線路を有効利用とするものだ。
ポイントになるのは円滑な上り下りのすれ違いができる駅の設置にある。
そこで相生駅に白羽の矢が当たっというわけだ。
小さな駅に新幹線が停まるとすぐ政治駅と揶揄されるが相生駅に関しては違うようだ。