終活と一言にいうが冷静に考えるといろいろな捉え方がありそうだ。
単純に身の回りの品の処分と捉える人もいるだろう。
また残るであろう財産の生末に苦慮する人もいるだろう。
はたまた人生の総括という事でお世話になった恩人や懐かしい友人と最後の別れを画策をする人もいるだろう。
さて今回の終活はもっとも手のつけやすい身の回りの品の処分について触れてみたい。
古くから「起きて半畳寝て一畳」と言われる。
そう人が生きていくための空間なんてそれだけあれば充分という事だ。
ところが物欲に毒されていないと思っていても人は相当量の物を抱え込んでいる。
自分は普段から使わない物は積極的に捨てるようにしている。
これはある取引先の人から聞いた話だが「今年一年間使わなかったものは来年も使わない」という事だ。
確かに企業における経理上の帳簿類ならまだしも、一年間一度も開かなかった資料は翌年使う可能性はかなり低いだろう。
多分に皆さんのお宅にもそのような不要な物が眠っているのではないだろうか?
高額な割に使う頻度が非常に限られていた物の筆頭といえば着物だろう。
終活で一番最初に悩むのはこの箪笥の中に眠る着物だ。
この着物が処分できない理由もはっきりしている。
それは母親の形見だったとか、子供の入学の際に購入したなど思い出が絡んでいるからだ。
ただ今後使う可能性は限りなく低いだろう。
終活においては断捨離的な発想も必要だ。
着物は買取業者にお願いして多少でも現金化したほうが良いのではないだろうか?
しかし改めて考えるとこの十数年で着物文化は一気に衰退してしまった様に思われる。
数年前に破産した「はれのひ」は振袖のレンタル業で拡大をしてきた企業だ。
事の顛末は皆さんご存じだと思うのでここでは割愛する。
ただ振袖のレンタル市場がここまで拡大している背景には振袖を購入しない女性が増加している事の裏付けでもあるのだ。
そう現代においては着物は借りるものと割り切って考えれば着物の処分も早く進むのかもしれない。
男性である自分も大量のスーツが洋服ダンスにかかっている。
ひとつひとつ見ればそのデザインはひと昔前の物でとても今、着て街を歩けるような代物ではない。
そう「流行遅れ」も断捨離のひとつの動機付けであっても良いのではないだろうか?
結局、あっても着れないものを皆さんタンスの肥やしにしているだけなのだ。