日本政府が2024年を目途に刷新する1万円札、5000円札、1000円札。
ご存じの通り1万円札は実業家の渋沢栄一だ。
5000円札は津田塾大学の創設者の津田梅子。
1000円札は医学博士の北里柴三郎になっている。
渋沢栄一は今までの1万円札に採用された偉人に比べて認知度が低いイメージがある。
でもこの方には素晴らしい功績がある。
国民はいずれその図柄も違和感を感じることなく馴染んでいくだろう。
そもそも紙幣のデザインなどあまり真剣に見た記憶がない。
多くの方もどちらかというとデザインよりも「色合い」でその貨幣価値を認識しているのではないだろうか?
だから国民的には紙幣のデザインが変わっても実生活には何の問題も起こらない。
ところが昨年この新紙幣の発表があった際に異論を唱えた国があった。
概ねこの手の内政干渉は韓国か中国だ。
案の定、クレームをつけてきたのは韓国だった。
批判の矛先は1万円札の渋沢栄一の紙幣だ。
実は渋沢栄一は1900年代初頭に朝鮮半島で発行された紙幣の肖像画になっていた。
そう渋沢栄一の紙幣は日本の統治時代の韓国に存在していたのだ。
韓国側は渋沢に韓国の利権を収奪されたという立場なのだろう。
そもそも他国の紙幣にクレームをつける意味が理解できない。
そして韓国の歴史認識のギャップを改めて感じてしまう。
日本は韓国を侵略してはない。
もちろん秀吉の「朝鮮出兵」までさかのぼれば侵略行為と言えないこともない。
ただ近代においては韓国側が日本の統治下に入ることを望んだのだ。
もし日本の統治下に入っていなければロシアか中国の統治下に入っていただろう。
そして日本の収奪行為というクレームにも違和感を感じる。
仮に日本が韓国の利権を収奪をしたとしてもそれ以上のインフラを日本は韓国に置いてきている。
感謝されど恨まれる筋合いはない。
過去の歴史にこだわり他国を非難するのは韓国のお門違いだ。
仮にアメリカがドル紙幣にマッカーサーの肖像が使用しても非難する日本人はいないはずだ。
韓国には日本向けの被害者ビジネスがどうしても垣間見えてくる。
重箱の隅をつついては日本からお金を巻き上げようという事ばかり考えている。
渋沢栄一の紙幣ひとつとっても日韓を取り巻く問題が見えてくる。
日韓がわかりあうにはまだ相当の時間がかかりそうだ。