自分にとって老眼鏡は空気みたいな存在だ。
通常の生活ではさして有難みを感じないが必要に迫られた時に無いと非常に困る。
老眼鏡ほど面倒でなおかつ有り難いものはないだろう。
そう老眼鏡はまさに空気だ。
若い頃に比べて老眼鏡がないと読めないものが特にある。
それが新聞と時刻表だ。
特に時刻表は鉄分の多い自分にはバイブルのような存在だ。
思いついた様に読みたくなる時刻表のそばに老眼鏡がないと非常に厄介だ。
しかし改めて見ると時刻表の文字は本当に細かい。
若い頃はこの文字を細かいと思った事がない。
ということで時刻表を見る時は老眼鏡は必須だ。
そのくせ出掛ける時に一番忘れがちなのもこの老眼鏡なのだ。
本屋さんの前を通るとダイヤ改正の時刻表が発売されている。
これは見過ごすわけにはいかない。
書店に入って障りだけでも覗こうとバッグを探ると老眼鏡を忘れている。
もちろんこうなると他の気になる書籍に目を通すことすら出来ない。
そう老眼鏡がないと外出する意義な無くなってしまうのだ。
よく女性の方で首から眼鏡ホルダーで絶えず老眼鏡を胸元に下げている方がいらっしゃる。
これは使えると思いホルダーを購入してみたが想像以上に胸元の老眼鏡が煩わしい。
結局その煩わしさから老眼鏡をホルダーにつけたままテーブルなどに置きっぱなしにしてしまう。
指輪もそうだが普段から馴れないものを身につけても体が拒絶反応を起こしてしまうようだ。
ところで老眼鏡を英語で言うと何というのだろうか?
一般的な眼鏡は「glasses」というがまさか「oldglasses」ではないだろう。
これを調べてみると「convex glasses」という。
「convex」とは何と「凸」の事だ。
これは意外な呼び方だ。
ちなみに「reading glasses」も老眼鏡の事だ。
どちらかというとこちらの方がしっくり来るのは自分だけだろうか?
そうそうこの言葉を細かい字の和英辞典で老眼鏡をしながら調べたわけではない。
現代は老眼鏡をしなくても調べる事のできるパソコンがある。
スマホは画面を拡大する事ができる。
そう時代は老眼鏡が無くても暮らせる社会に向かっているのかもしれない。
出版不況が叫ばれる中、いつの日か時刻表も出版が終わる日が来るかもしれない。
それも寂しい話だが時代の流れという事だろう。