巷の繁華街は忘年会で盛り上がっている。
自分が会社勤めだった頃は別に忘年会という大義名分がなくてもよく巷の繁華街に繰り出していた。
要は忘年会とはのん兵衛の理由付けにほかならないのだ。
だから酒が飲める人は基本的には断らないというのが自分の認識だった。
ところが最近では「忘年会スルー」という言葉が存在する。
忘年会スルーとは端的に忘年会を拒否するという事だ。
もちろん自分から「忘年会に行きたくない」と宣言する人もいれば、適当な用事を作って角が立たないようにして忘年会を回避する人もいる。
そう現代は組織の親睦よりも個人の感情や都合が優先される時代になった。
そういえば社員旅行というのもかなり減ったらしい。
いくら会社側が費用を負担してくれようとも休みの日まで嫌いな上司と旅行をしたくないという事だろう。
会社(組織)は家族という日本的な発想は若い人達には通用しないのだろう。
さて話を忘年会に戻そう。
自分は基本的には忘年会スルーは賛成だ。
というか誤解を恐れずに言えば「下戸」の方とお酒を飲むのが苦手だ。
「下戸」の方でも皆でワイワイするのが好きという人とは問題ない。
飲めない人はとにかく食べるのが速い。
もちろんお酒を飲まないからだ。
そうするとお腹が一杯になるのも速い。
そうなるともうやる事がないのだ。
その頃から周囲ののん兵衛達のエンジンがかかり始めてとりとめのない話が延々と繰り返される。
「下戸」の方にとってこれほど苦痛な時間はないと思う。
小一時間も経てばもう帰り支度が始まる。
絶好調の酔っ払いは「下戸」の方の気持ちの知らずに引き留めるだけ。
自分はそんな風景を過去に何度も目にしてきた。
こんな事なら始めから誘わないほうが良かったと思えてしまうのだ。
昔はお酒は飲めば強くなると勘違いをされていた。
学生時代は下戸の友人は無理やり飲まされた。
今そんな事をしたら「アルハラ(アルコールハラスメント)」として訴えられるだろう。
そうアルコールを拒否する権利が確立されたのだ。
だから忘年会スルーなんて言葉が大手を振って巷で使われているのだろう。
酒は飲みたい人が飲みたい人と飲めば良いと思う。
そこには強制も勧誘もない。
忘年会スルーとは時代が作り出した拒否権だ。
酒でも飲みながら賛同してあげようではないか。