あなたは「トロッコ問題」をご存じだろうか?
イギリスの哲学者であるフィリッパ・フットが提議した倫理学の思考実験だ。
その問題の概略を説明しよう。
ある線路を走っていたトロッコがコントロール不能になった。
トロッコといっても手漕ぎで推進するような簡易的なものではなく、トローリーによる路面電車だ。
この暴走するトロッコの線路の先には5人が作業をしている。
このまま行くとその5人全員が死亡する事になる。
ところがその手前には線路の分岐器がありその先には一人が作業を行っている。
その分岐器を操作すれば5人は助かるがその一人が死亡してしまうという前提だ。
さてその分岐器の前にあなたがいてその操作ができるとしたらあなたはどう判断するだろうか?
という内容だ。
もちろん大前提としてその操作により犠牲者が生じても法的な責任は問われないとされている。
内容はいたってシンプル。
五人を助けるために一人を犠牲にできるかというものだ。
実をいうとこの「トロッコ問題」が今年の5月に山口県の一部の学校の学級活動の時間に使われた。
ところが児童の保護者から多くの子供が「授業に不安を感じている」との指摘を受け、学校側が説明を求められる事態になってしまった。
少々子供達には刺激が強かったのかもしれない。
これは自分個人の意見だがこのトロッコ問題の答えは無いと思っている。
皆でその判断をした理由を討論する事に一番の意義があるのではないだろうか?
ただある人の意見が非常に興味深かった。
その人は何もせずに見過ごすという。
つまり「運命」に任せるというものだ。
5人の人達が犠牲になるのはその人達の運命である。
それを一人の人間が左右しようとするからおかしな話になる。
自分はトロッコ問題の答えが無いと言いながらもこの答えが一番正解に近いように思われる。
この問題を聞いた時に思いだしたのがハイジャックが起きた際の各国の対応だ。
日本はよど号事件の際に「超法規的観点」からハイジャック犯に屈してしまった。
つまり「トロッコ問題」における五人を助ける判断をしたのだ。
ところが欧米各国の判断はテロリストには屈しない。
複数の犠牲者が出ようと犯罪を根絶するスタンスをとる。
必要があれば「トロッコ問題」における一人救出を選択するのかもしれない。
あなたの「トロッコ問題」の答えはいかがだろうか?