自分は定期的に行きつけの医者に行く。
他のシニアの方と同様、御多分に洩れず持病の高血圧の薬は絶やす事ができない。
それがとにかく時間がかかる。
薬をもらうだけでも半日仕事になってしまう。
最近の病院は診断を受けないと薬を処方してくれないのも時間がかかる原因でもある。
という事で待合室には人が溢れている。
そんな時に非常に気になるのが二人で病院に来ている人達だ。
ただでさえ混んでいる待合室がさらに混雑する。
よくよく見てみると高校生ぐらいの子供に付き添いに来ている母親らしき姿がある。
自分はその光景をみるとその双方に呆れてしまう。
高校生ぐらいの子供には、「その歳になって一人で来れないの?」というもの。
また母親らしき女性には、「いつまでも子供に寄生するな」というものだ。
もちろん小学生ぐらいの子供の付き添いなら何もいうつもりはない。
自分の記憶では中学生では一人で病院に行っていた記憶がある。
「中学生になったら病院ぐらいは一人で行かせろ」と言いたいのだ。
とにかく日本の子育ては過保護になっている。
とある企業の人事担当の人から聞いた話だが、最近は入社試験には着いてくる親がいるという。
さすがに社内に入れる事はできないらしいがどのような神経で子供に着いてくるのだろうか?
親が着いてくれば受かると思っているのか?
仮に子供が「親が外で待っている」ぐらいの発言をしたら人事担当者はドン引きしてしまうのではないか?
「子供の事を心配するやさしい親なんだ。」とは思う担当者はいない。
ほとんどの担当者は入社を希望する学生に対して「親がいないと入社試験も来れないのか?」というマイナス評価をつける事になる。
そんな簡単な事もわからずに子供に寄生する日本の親達。
そもそも過保護な日本の子育てはいつぐらいから始まったのだろうか?
自分が思う過保護の始まりは出生率が低下したあたりからではないかと思っている。
1970年台の第二次ベビーブームをピークに出生率は「2」をわり始める。
つまり各家庭の子供は多くて二人、もしくは一人っ子になり始めた時期だ。
このあたりから一人の子供に使えるお金も増え始める。
親は子供の生活に金も出すが口も出し始めた。
子供はいつも親の顔色を気にしている。
これでは自立した大人に成長できるわけがない。
子供に無関心になれとはいわない。
子供が不調を訴えたならまず一人で病院まで行けるか確認するのが本当の愛情ではないのか?