「一期一会(いちごいちえ)」という言葉ほど日本人が好きな言葉はないと思う。
とかく四文字熟語というと中国からの伝来が多い。
ところがこの「一期一会」は純粋なメイドインジャパンの四文字熟語なのである。
「一期一会」とは茶会に臨む時の心得だ。
その機会再び繰り返されることがない「一生に一度の出会い」である。
だから亭主と客お互いに誠意を尽くそうとする構えを意味している。
「一期一会」を英語で表現すると「Once-in-a-lifetime chance」となるらしい。
ただこちらの直訳は「人生に一度の機会」だ。
どうもニュアンスがしっくり来ないと思うのは自分だけだろうか?
「一期一会」は人生で一度しか会う事のない人へのおもてなしであり、宗教的な死生感すらイメージさせる。
ちなみに「一期」とは仏教語で人が生まれてから死ぬまでの期間つまり一生をを表わしている。
「一期一会」はもともと戦国時代から安土桃山時代に名を馳せた茶人である「千利休」の言葉である。
そもそも当時の平均寿命が僅か30歳代の時代だ。
元服した頃から人は絶えず死を背中合わせに生きて来たのかもしれない。
特に「千利休」は豊臣秀吉の側近であったが秀吉との間に不和が生じて最後は切腹へと追い込まれている。
「一期一会」とは「生きている間にせめておもてなしを施したい」という人間の持つ本能的な部分を感じる。
それに対して「人生に一度の機会」ではあまりにもニュアンスが違うのではないだろうか?
それはさておき今外国人で話題になっている「一期一会」の舞台が四国にあるのはご存じだろうか?
「四国八十八箇所」をまわるお遍路の旅が外国人に人気になっている。
「四国八十八箇所」は空海(弘法大師)に縁のある寺院である。
「四国八十八箇所」の霊場を巡礼して、開運、縁結びなどの祈願していくのだ。
現在ではバスツアーなど気軽に巡礼にいくこともできるようになったが外国人の巡礼者は基本にのっとり徒歩をその旅を完結させたがる。
なぜなら彼らはこの巡礼で巡りあう「一期一会」の存在を知ってるからだ。
道行くお遍路に地元の人から飲み物やお菓子などの頂きものがある。
決して高価なものではないがこのささやかな心遣いに多くの方が感銘を受けているらしい。
そうもう二度と会うことのない地元とのふれあいこそが「一期一会」の精神ではないだろうか?