先日かかり付けの病院に行ったら驚いてしまった。
待合室に患者がで溢れているのだ。
自分が行っている病院は町医者をひとまわり大きくした規模だが、待合室も決して狭くない。
ところがその日は「立ち席」まででているのだ。
病院の経営的な観点から見れば「千客万来」なのかもしれないが、血圧の薬をもらうために来た自分にとっては長居をしたくない空間である事は間違いない。
というのもこの待合室にいるほとんどの患者がマスクをしている。
あきらかに風邪の患者だ。
せき込む音もあちらこちらから聞こえてくる。
「まずい」と実感した。
その日はマスクもせずにこの病院に来てしまったからだ。
表現は良くないが健康な人が病院に病気をもらいに来たようなものだ。
実際、病院の待合室で風邪などの病気に感染する例は多々あるらしい。
とにかく下を向いて順番を待つしかない。
それにしても親子連れが多い。
親子といっても子供は中学生ぐらいに見える。
その歳まで親がついてくるのもどうかと思う。
自分は小学校後半では一人で病院に行っていたような記憶がある。
これは子供側が「親離れ」できていないのではなく親側が「子供離れ」出来ていないのではないだろうか?
最近では大学生の就職試験に親がついてくるというのだから呆れてものがいえない。
子供を心配するその姿勢が就職に不利に働いていることをその親はわかっていない。
そんな事を考えているうちに名前を呼ばれて診察室にはいる。
そもそも血圧の薬だけもらえば用は足りるのだが最近の病院では診察が義務つけられている。
その診察も血圧の記録を見るだけのシンプルな機械作業だ。
問題はまた待合室に戻って会計が終わるまでの間、再びこの空間にいなくてはいけない事だ。
会計の近くの席を見つけてまた下を向いて待合室での時間をやり過ごす。
会計も終わりこの空間からやっと解放された安堵に包まれるもさらにまた追い打ちをかけるように混雑する待合室が待っている。
病院近くの処方箋薬局だ。
病院の渋滞がここにまで波及しているようだ。
再び下を向いて順番を待つことになる。
薬局の会計が終わり外に出るとすでに3時間が経過しようとしている。
たったと言ったら怒られるかもしれないが薬をもらうだけならもう少し簡便なシステムを構築すべきではないだろうか?
風邪の患者が溢れる空間に健康な人を長時間滞在させる事は医療費がかさむ我が国にとってメリットがある事なのだろうか?