まもなく師走だ。
不要なものを処分しようと思うのだが何故か一向に進まないという人は多いのではないだろうか?
そこで思いだすのが「断捨離」という言葉だ。
「断捨離」は「不要な物を減らして生活に調和をもたらす思想」の事のようだ。
ヨガの行法として「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」の概念が根底にあるとの事。
「断捨離」と聞くと凄い難しいイメージがつきまとうが要は「入ってくるものを断つ」、「不要なものは捨てる」、「物欲から離れる」から来ている。
なるほどそもそも外部からゴミ予備軍を持ち込まなければ捨てる作業もないはずだ。
そう考えると「断捨離」はそれほど難しいものでもないのかもしれない。
例えば夏祭りの際に配布されるのが「うちわ」だ。
プラスチック製の骨組みに企業の広告が印字されているあの「うちわ」が眠っているお宅は多いのではないだろうか?
確かに夏場の暑い盛りにいただくと重宝されているが、果たして持ち帰ったそのその「うちわ」を一度でもご自宅で振ったことがあるだろうか?
まず無いと思う。
ほとんどが捨てられもせず放置されているのだ。
自分は暑くてもこの「うちわ」をもらった事がない。
捨てるのが面倒だからだ。
なお誤解のないように触れておくが、自分はこの「うちわ」がゴミになるから不要と言っているのではない。
事後に使っている方は多数いるだろう。
でも自分は使わないと言っているだけだ。
ところでゴミが溜まる人の共通点は「決断力の欠如」だと思う。
決断力がない方は営業用のダイレクトメールさえ捨てられない。
将来この情報が役にたつ日が来ると思ってしまうのだろう。
昔、取引先の方から聞いた一言は今も忘れられない。
「去年一年間使わなかった物は来年一年間も使わない」ということだ。
またこんな事も聞いた事がある。
「捨てるか捨てないか選択する際に悩んだものは捨てる」というものだ。
何故なら「取っとくものは悩まない」からだ。
我々シニア世代は残りの人生の時間を考えると本当に必要なものは限定されると思う。
「立って半畳寝て一畳」とは本当にうまく表現していると思う。
物欲に満たされながら残りの人生を歩むよりも精神面での充実のほうが幸せなような気がする。
断捨離は難しい?
とんでもない。
後は決断力だけだ。