「過ぎたるは及ばざるがごとし」というように何事もほどほどが大切だ。
特に自分みたいに凝り性ではない人間には絶対理解できない事がある。
例えば日本でアルバイト生活をしながら渡航費を稼いである程度貯まると海外を放浪する人。
確かに開発途上国にいけば一年ぐらいは旅が出来るらしい。
そして金が尽きるとまた日本に戻ってアルバイトをする。
またいくつになっても女性アイドルの追いかけをする人。
婚活もせず40代50代になってもアイドルに入れ込んでいる。
もちろん価値感の違いと言ってしまえばそれまでだ。
ただある時、後悔の念の包まれる日が来ると思うが、時すでに遅しだと思ってしまう。
という事で世の中には病的な凝り性の方がいる。
「四国病」という言葉をご存じだろうか?
厳密には「お四国病」という。
簡単にいえば「四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ)」のすべてをまわりきっているのにお遍路として再びまわろうとする人達の事をいう。
「四国八十八箇所」は空海(弘法大師)に縁のある寺院の事だ。
「四国八十八箇所」の霊場を巡礼して、開運、縁結びなどの祈願をする。
札所は徳島県の鳴門市から時計まわりに四国をぐるっと一周するコースになっている。
一番から二十三番までが徳島県だ。
阿波国の霊場は「発心の道場」と言われている。
二十四番から三十九番は高知県だ。
土佐国の霊場は「修行の道場」と言われている。
四十番から六十五番は愛媛県だ。
伊予国の霊場は「菩提の道場」と言われている。
そして六十六番から八十八番は香川県だ。
讃岐国の霊場は「涅槃の道場」と言われている。
香川県側の霊場から逆にまわっても問題はない。
また一回の巡礼ですべての寺をまわらなくても良い。
自分の都合で分割してまわる事を「区切り打ち」という。
一周がおよそ1200kmだ。
一日徒歩で30km歩いても40日にはかかる。
もちろんバスなどのツアーもあるが決して楽な旅じゃないことはだけは確かだ。
でも何故ゆえに「四国病」を患ってしまうのか?
それは旅の途中でうける地元の方からの「お接待」にあるという。
「お接待」といってもクラブに言って酒の接待をうける事ではない。
道行くお遍路には飲み物やお菓子などの頂きものなどの気遣いの事だ。
このささやかな心遣いに多くの方が「四国病」に陥ってしまうという。
確かに旅とは観光もさることながら人とのふれあい重要な要素なのかもしれない。
こんなことを書いているとこの四国病にかかりたくなってきた。
自分も四国に行く準備をしないといけない。