江戸時代に五街道の整備により江戸の文化が遠方の地に時間をかけて伝播していった。
もっと遡れば京の文化も当時の古道がその伝播に貢献した事になる。
そうテレビやインターネットなどのメディアが無かった時代は文化や情報は街道により時間をかけて地方に伝わって行った。
だからその街道沿いに個性が生まれるようだ。
街道により隣接する街同士は価値観を共有できる。
ただ隣接するだけの街同士はそういうわけにもいかない。
例えば昔から商売をしている和菓子屋などはどちらかというと同じ街道沿いに支店を増やしていくようだ。
それはそうだ。
商品の味と店の知名度がすでに伝播しているから商売がやりやすい。
販売効率を考えている経営者なら皆同じ判断をするだろう。
さてこれが現代はどうかというと経営者は地図を広げて立地を確認。
人口規模や人口割合をデータ化する。
商圏人口はもっとも大きな指標でもある。
そして自社の配送効率も考慮しながら出店先を決めていく。
もちろん同じ街道沿いというファクターもあるかもしれない。
でもそれは昔ほどでは無いと思われる。
さてこの文化が街道沿いに伝播する説だがすごくわかり易い県がある。
当時の江戸に隣接していた武蔵の国すなわち現在の埼玉県だ。
埼玉県は東京に隣接しているという事もあり放射状に延びる街道が4本もある。
西側から国道254号(川越街道)、国道17号(中山道)、国道122号(日光御成街道)、国道4号(日光街道)だ。
自分は埼玉県で仕事をしている関係もありよくこの4本の街道は利用する。
特に国道254号(川越街道)、国道17号(中山道)そして国道4号(日光街道)については何ともいえない違和感を覚える。
これは自分の個人的な意見だがこの三本の街道の中で江戸時代にもっとも栄えていたのは川越藩を有する川越街道だったのではないだろうか?
その名残なのか歴史を感じるのだ。
そして明治維新以降、その繁栄は中山道の沿線である浦和や大宮市に移行する。
現在でもバイパスが広く人口が多い地域になった。
そして日光街道沿いはこれといった大きな街はできなかったがこの街道沿いも他のふたつとはイメージが違う要素を持っている。
そしてこの街道沿いの文化を作りあげるもっとも大きな要因は川ではないかと思っている。
特に川越街道と中山道の間には日本一の幅を有する荒川がある。
橋を容易に作る事のできなかった時代には水が文化を遮断していたのかもしれない。