山陽新幹線が岡山駅まで開通した時に不思議に思った事があった。
それは兵庫県にある相生駅に新幹線駅ができた事だ。
新大阪駅から新神戸駅、西明石駅、姫路駅と有名所の街が続く中「相生駅?」と驚いてしまった。
関東在住の自分にとって相生駅は未知との遭遇だったのかもしれない。
一般的な知名度からいけば相生市の西側にある「播州赤穂駅」だと思うのだが何故か相生駅になってしまった。
山陽新幹線開業当時の相生市の人口がおよそ4万人。
かつてはIHI(石川島播磨重工業)の造船所があったとはいえ新幹線が停車するにはあまりにも寂しい街だ。
新幹線を停車させる理由をひとつ挙げるとしたら山陽本線と赤穂線の分岐点というところだけだろう。
前述の播州赤穂駅に新幹線を停車させなかったのは赤穂線という支線の駅だったからかもしれない。
ちなみ山陽新幹線開業当時の赤穂市の人口はおよそ4万5000人で相生市を上回っていたようだ。
さてそうなってくるとプンプン臭ってくるのが「政治駅」としての新幹線誘致だ。
新幹線の駅には政治がらみの誘致が多々ある。
東海道新幹線の「岐阜羽島駅」。
北陸新幹線の「安中榛名駅」。
九州新幹線の「筑後船小屋駅」などは非常に有名だ。
これらの駅に絡んだ政治家についてはここでは触れないがネットでググればすぐ出てくるはずだ。
興味のある人は検索をしてほしい。
さて相生駅の場合はどうだろうか?
この駅の誘致に熱心だったのは旧相生村(現在の相生市)出身で通商産業大臣、郵政大臣などを歴任した河本敏夫だ。
相生市の名誉市民にもなっている。
実はこの誘致の背景に当時の国鉄が画策していたある計画があった。
それは「夜行新幹線」だ。
深夜に新幹線を走らせて輸送量を増やそうというものだ。
ただし新幹線の線路には深夜に定期的な保守点検が必要になる。
とても深夜に走らせるわけにはいかない。
そこで出てきた案が「単線運行」だ。
保守点検をしている線路の反対側の線路を有効利用しようというものだ。
そこでポイントになるのが円滑な上り下りのすれ違いができる駅の設置になる。
という事で兵庫県内には4つの新幹線駅ができた背景がある。
河本氏はその計画にうまく便乗して相生駅に新幹線を誘致したのだろう。
「我田引鉄」は地元有権者に訴求しやすい。
相生駅の新幹線停車はこのような背景があったのだ。