以前、元フジテレビのアナウンサーだった近藤サトさんが新聞の記事で「白髪」に対する考え方について触れていた。
薄毛とともに白髪に悩む自分は非常に興味深く読んだ。
近藤サトさんは若い頃から「白髪を隠すもの」という意識で白髪染めが習慣になっていた。
しかし現在は白髪染めをやめてしまってグレーヘアになっている。
その理由はシンプルで「自然体」でいたいとの事だ。
そう言われると自分は一週間に一回程度、白髪を染めている。
この作業はどこか「脅迫観念」に近いものが行っているようにも思える。
そもそも何故に「白髪」を染め始めたのだろうか?
基本的には社会人としての最低限の「身だしなみ」と思っていた。
でも本音をいえば少しでも「若く見られたい」という意識が働いていたのかもしれない。
特に同世代の友人達の視線が気になる。
ところがその同世代達もいつしか白髪を気にしなくなる。
というかベースの髪の毛の存在自体が怪しくなるからだ。
そう少しさびしい気持ちもあるが、すでに「若く見られる」必要もなくなりつつあるのかもしれない。
それならいっその事、近藤サトさんのように自然体で暮らしていくほうが精神衛生上良いような気がする。
ところで頭のさびしくなった自分は決してしないが女性の方で白髪を日常的に抜いている方がいる。
そこでふと思ったのが「白髪を抜くとどうなる?」という事だ。
実は答えは簡単でいずれまた白髪が生えてくるようだ。
ただ毛を抜くという行為はあまりよろしい事ではない。
毛根を痛める事になるので止めておいたほうが良いだろう。
最近めっきりさみしくなってきた自分の最終的な髪形は「坊主」だと思っている。
アップルの創業者の一人であるスティーブジョブズのようなイメージを目指している。
なぜならこれも自然体だからだ。
「坊主」にするという事は白髪染めが出来なくなる。
男はある程度の年齢になったら潔さも必要だ。
ある日突然坊主にして帰った時の家族の驚く顔を楽しみだ。
とはいえ、そう思いながらもう数年が経過してしまった。
今度、床屋に行ったら坊主にしようと思いながらいざ床屋に行くとその一言が言えないのだ。
なんと潔くないのだろう。
それに対して近藤サトのスタンスはどうだろうか?
鏡の前で薄くなった頭を見ながら坊主にした時のイメージをずっと想像している自分がいる。
次回は床屋で言えるだろうか?