先日、埼玉県の医師が沖縄県でお金を落として困っている高校生に6万円のお金を貸してその医師にお金が戻された話がニュースで取り上げられていた。
マスコミ主導ではなく自然発生的な美談に涙した人も多かったのではないだろうか?
かくいう自分も涙まではでなかったが「日本の若者もまだまだ捨てたものではない」と感動をさせてもらった。
まずこの医師が素晴らしいのが頻繁に訪れる機会の無さそうな沖縄で見知らぬ若者に6万円を貸したという事だ。
自分に置き換えたらこのような行為が果たして出来たのかと自問自答された方は多かったのではないだろうか?
たぶんにこの医師は最悪、お金は戻らなくても良いと思って貸したのではないだろうか?
そして借りた側の高校生は「自分を信じてくれた人」への期待を裏切ってはいけないと行動を起こした点が素晴らしい。
沖縄の地元の新聞社に協力を仰ぎこの医師を探すことになる。
このやりとりを聞いた時、思わず太宰治の名作「走れメロス」の一文を思いだしたしまった。
竹馬の友であるセリヌンティウスが自分の身替わりになり王に捕らわれている。
メロスが妹の結婚式を見取り処刑されるために帰路につく。
すべては自分を信じて捕らわれたの身になった親友セリヌンティウスのためだ。
途中、山賊に襲われるなど心労が続きある時、一瞬友を裏切る事も已む得ないという気持ちが芽生えてしまう。
しかし一口飲んだ泉の水で夢から目が覚める。
それからのメロスの心情は「走れメロス」の原文から引用させていただく。
「日没までにはまだ時間がある。私を待っている人があるのだ。少しも疑わず静かに期待してくれている人があるのだ。私は信じられている。私の命なぞは問題ではない。死んでお詫びなどと気のいい事は言って居られぬ。私は信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。」
改めてこの文章を読んだ感動を覚えた方もいるだろう。
文豪・太宰治の感性がほとばしっている。
まさにお金を借りた高校生の気持ちそのものだったのではないだろうか?
人は信用される事によって責任を負うことになる。
それを逆手にとって詐欺などの犯罪をする輩もいるかそんな人間はまさに「人間失格」だ。
今回の医師と高校生のやりとりはまさに現代版の「走れメロス」。
両者に拍手を送りたい。