自分は外食はさておき他人の家で食事をするのがあまり好きでない。
特につけものの類には手がでない。
外食は大丈夫なのに不思議な話だ。
なかでも特に苦手なのが「おにぎり」だ。
他人が握ったおにぎりはどうも手がでない。
衛生的とかそういう次元以前の話で「生理」的に受け付けないのだ。
そんな自分は変わり者だなと思っていたら昨今ではそれが当たり前になりつつあるらしい。
皆さん潜在的に「他人の握ったおにぎり」を好きではなかったのだ。
O-157の騒動あたりから特に若い母親が素手によるおにぎり作りを敬遠しているらしい。
皆さんラップにご飯をとって握っているのだ。
自分のこの傾向には大賛成だ。
よく電車のつり革に触れない潔癖症の女性がいる。
これには関しては少々行きすぎだと思う。
ただ口にいれるものは話が変わってくる。
それではお前は寿司屋の寿司は食えないのか?
というツッコミがでてきそうだ。
ところが寿司にはそれなりの理論武装を用意してある。
実をいうと寿司はもとも生ものを扱うため先人たちが知恵をだして料理を確立してきた背景がある。
簡単にいえば寿司に使われる素材は「天然の抗菌剤」の集合体と言われている。
「お酢」、「わさび」、また竹にも天然の抗菌成分があると言われている。
お酢に塩を加える殺菌効果があがるとも言われている。
もちろん食用にしても何の問題もない。
冷静に考えれば冷蔵、冷凍技術がなかった江戸時代にあれだけの生ものを料理にするにはそれなりのテクニックが必要だったというわけだ。
もちろん当時の人達がこの「天然の抗菌剤」成分の事を知っていたとは思えない。
ふぐ料理と同じように試行錯誤を繰り返しながら確立されていったのだろう。
おにぎりに話を戻そう。
そもそもおにぎりの素手による握りが敬遠されるようになったのはコンビニの存在も大きいのではないだろうか?
コンビニのおにぎりは大きな製造工場のラインで機械により作られている。
別に人間の手であろうと機械であろうと味に影響はないわけだ。
それなら衛生的なコンビニのおにぎりという図式があるような気がする。
実際最近ではあのパリパリの海苔の方が良いという話も良く聞く。
セブンがおにぎりを販売しようとした際にはかなりの紆余曲折があったという。
そう日本ではおにぎりは自宅で作るものという既成概念があったからだ。
しかし市場はここまで拡大してしまった。
そしておにぎりの作り方まで変えてしまったのかもしれない。