10月21日福岡県の宗像市・福津市で行われた「プリンセス女子駅伝」であるハプニングがあった。
「プリンセス女子駅伝」とは正式には「全日本実業団対抗女子駅伝競走大会予選会」のことで今年は26実業団が参加してワコールが優勝している。
さてそのハプニングとは3位を走っていた岩谷産業の飯田怜選手が、第2中継所の手前およそ300メートルのところで足をひねって転倒してしまった。
走ることが難しいと思った飯田怜選手はレースをあきらめずにタスキを握りしめて四つんばいになり進み始めた。
この飯田怜選手の気迫に審判は制止しなかった。
というよりも制止できなかったのではないだろうか?
道の応援もテレビの視聴者も「感動的な美談」として持ち上げることになる。
がいざ試合が終わると彼女は右脛骨(けいこつ)の骨折で、全治までに3~4カ月が必要と診断された。
アスリートにとってこの3~4カ月の休息がどれだけマイナスになるかは素人の方でも想像できるだろう。
衰えた筋肉を取り戻すのは容易な事でない。
筋肉は日々鍛えて続けて維持できるものらしい。
予想通りに「早く棄権させるべきだった」と言う意見も出てきた。
一説には岩谷産業の廣瀬永和監督は棄権の指示を出していたという。
箱根駅伝でもそうだがタスキが途切れることは駅伝選手にとってもっとも辛いことのようだ。
だから指導者もこの判断は非常に難しい。
ただ長いアスリート人生の事を考えると僅か一回の棄権をためらうことはないと自分は思っている。
駅伝というスポーツは特殊だ。
多くの団体スポーツの中でも個人の責任が一番重くのしかかるからだ。
駅伝選手の棄権はサッカーのPKでペナルティキックを外すぐらいの重圧がかかっているのではないだろうか?
ましてや国際レースクラスになると日の丸を背負っている。
そういう話をすると一人のアスリートを思いだす。
東京オリンピックという晴れの舞台。
白人優勢の陸上競技において日の丸を背負わされたマラソンランナーがいた。
円谷 幸吉さんだ。
彼が自らその命を絶ったことにはいろいろな憶測があったがやはり根底になったのは日の丸の重圧だったのではないだろうか?
今回のハプニングに関しては、周囲の期待もわかる。
でも本人の事を思えば指導者が「勇気ある撤退」を早めに決断して審判も早い決断をすべきだったのだと思う。