豊臣秀吉は1590年、天下統一を前に徳川家康に領地(主に三河、駿河等)から関東への国替えの措置をした。
当時の江戸は湿地帯でお世辞にも豊かな土地ではなかった様だ。
概ね秀吉は家康の存在を恐れて京から離れた地域に遠ざけたというのが定説だ。
それからおよそ400年、誰がこの大都市東京の成立を予言できただろうか?
家康が江戸幕府を開いてから現代に至るまで東京が実質的な日本の首都であり続けた事には地政学的なアドバンテージがあったと思われる。
当時は辺境と思われた関東は日本最大の平野を持ち、雪害が少ない理想的な地であった。
また西側の山岳地帯には冬場に大量の雪が積もり豊富な水量を関東にもたらしてくれる。
江戸湾はその地形から自然の良港となり海の幸ももたらしてくれる。
よく言われる1800年代には当時世界一の人口を擁したロンドンを凌駕していたという説があるがこれについては最近、否定的な説もでてきている。
それにしても当時の江戸には100万人の人口を擁していたのは事実のようだ。
関東地方は本当に広い。
大阪の中心部からは場所によっては生駒山地が見えたりするが、都内中心部から山が見えることはまずない。
もちろん高層ビルの展望台に昇れば話は別だ。
そして東京には水源の違う三本の川が集まっている。
群馬県内を水源とする利根川水系の本流の利根川(もともと利根川水系の渡良瀬川から太日川(現江戸川)が江戸に流れ込んでいたが、江戸時代に現利根川の治水事業が行われている)。
埼玉県内を水源とする荒川水系の本流の荒川。
山梨県を水源とする多摩川水系の本流の多摩川。
豊富な三大河川が現在の繁栄をもたらしといっても過言ではないと思われる。
大都市が形成されるには周辺にその都市を支えるための農作地が必要とも言われている。
こちらも御多分にもれず北関東から千葉に至る農作地が広がる。
そして江戸の都市化が進むと各方面に街道が発達する。
千葉街道、水戸街道、日光街道、中山道、川越街道、甲州街道、厚木街道、東海道と放射状に道が伸びていく。
もちろんそれには「参勤交代」などの物理的な要因も関係していると思うが、人の流れは都市の発展にはかかせない事だ。
そう東京は日本のなかでももっとも都に適していた地域だったのかもしれない。
ところで都はどんどん北上している事はご存じだろうか?次の都は仙台かはたまた札幌か?
それとも誰も予想もしなかった北海道の原野なのかもしれない。
それを決めるのは徳川家康のような発想の政治家かもしれない。