普段の会話の中には麻雀に関する言葉が多くある。
例えば「テンパる」などといった言葉を聞いたことがないだろうか?
「今忙しくてテンパっちゃっているんだよね」などという使い方だ。
普段の会話の中ではこの「テンパる」はどちらかというとパニック状態を表わしているが、こと麻雀では違う。
「もう一個くればあがりです」もしくは「リーチがかけられる状態」の事を表わしている。
どちらかというと良い状況の事なのだ。
なぜこのようなネガティブなイメージになったかは不明だ。
ところでこのように麻雀の言葉が日常会話に入りこんでいる例は事かかない。
たとえば正面にいる方を「対面(トイメン)」と言わないだろうか?
また両面テープのことを「リャンメンテープ」などと呼んでいる人はいないだろうか?
麻雀では卓を囲む正面にいる人を「対面(トイメン)」と呼ぶ。
また例えば五六と並んだ碑の両サイドの四七(スッチー)を当たり碑に設定する役をピンフという。
この場合は四七(スッチー)の「両面(リャンメン待ち」となる。
その他にも「メンツ」という言葉は自然に使っていないだろうか?
「今日の飲み会のメンツは決まったの?」とかだ。
「メンツ」とは麻雀を行う4人の事を意味する。
また麻雀で親が上がり続けることを「連チャン」という。
これも皆さん自然に使っているはずだ。
「このところ毎晩飲み会の連チャンで疲れたよ」なんて具合だ。
親は上がり続けていると親で有り続ける。
この場合の「連チャン」は非常にポジティブなイメージなのだが、やはり日常会話ではネガティブなイメージになっている。
そう意味においては「チョンボ」なる言葉は麻雀も日常生活においても同じ意味と言える。
ミスを犯した場合に使うのが「チョンボ」だ。
麻雀での「チョンボ」はいろいろあるが、一般的に多いのは「フリテン」や「多碑」だ。
「フリテン」とは自分の川に捨てた牌でロンを宣言する事。
ただし再度ツモる分にはチョンボではない。
また通常13枚でゲームしているが、ポンやチーを繰り返すうちに手元に14枚来ている場合がある。
これを「多碑(ターハイ)」という。
この時は必死になってその一枚を隠してゲームをする事になるが、その局(ゲームの単位で最小のもの)は上がりは期待できないため、振り込まない事に専念することになる。
そう麻雀には、ばれなければ罪にならないルールもある。
どこかの政治家が使いそうな手法だ。
麻雀はその奥の深さゆえたくさんの人に愛されているゲームだ。
生活の中にその用語が入ってくるのは容易に理解できる。
さああたなはテンパったらリーチをかける?
それともパニックになる?