「清里」という地名を覚えているだろうか?
シニアの皆さんが若かりし頃、一斉を風靡したあの「清里」だ。
1980年代には女性を中心に大勢の観光客が押し寄せたバブルの申し子のような存在だった「清里」が今ひん死の状態になっている。
清里とは山梨県北杜市の八ヶ岳山麓に広がる高原だ。
この街を有名にしたのが清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュによって開設された清泉寮などの観光施設。
特にそこで販売されるソフトクリームがブームとなり女性客が押し寄せた。
ちなみにこの清泉寮はキープ協会が運営する宿泊・研修施設だ。
KEEPは(Kiyosato Educational Experiment Project:清里教育実験計画)からネ―ミングされている。
当時は駅前からつながる商店街にメルヘンチックな店舗が並び「高原の原宿」とまで称されるようななった。
実はこのブームに火を付けたのはアンアン、ノンノなどの女性誌だと言われている。
大人のリゾート地としてしっかりとしたベースの確立されている軽井沢と違って、取ってつけたような清里のブームは一過性だった。
かくして清里はバブルの崩壊とともに終焉を迎えたわけだ。
熱し易く冷めやすい日本人の気質で振り回された街はここだけではない。
新潟県の越後湯沢もそのひとつだ。
当時はリゾートマンションが乱立して活気を帯びていたが、今となってはまさに「強者どもの夢の後」状態になっている。
当時、スキーブームに目をつけてマンション投資をした人達は愕然としているはずだ。
清里に話を戻そう。
清里はJR小海線の沿線だ。
小海線は中央本線の小淵沢駅からしなの鉄道(旧信越本線)の小諸駅を結ぶ延長78.9kmのローカル線だ。
実をいうことの小海線沿線にももうひとつの「栄枯盛衰」がある。
それは終点の小諸駅と北陸新幹線の途中駅となった佐久平駅だ。
長野新幹線(北陸新幹線開通前)のルート取りについては、大方の人が高崎-軽井沢-小諸-上田-長野と思っていた。
ところが何故か軽井沢を出た新幹線は南下して小諸の南側の佐久市内に駅を作ることになる。
JR側が小諸ルートを嫌った原因ははっきりしていないが、どうも小諸駅の地形に問題があったのが大方の見方のようだ。
かなり傾斜がきついところにありまた小諸市の観光名所である「懐古園」の一部が削られる計画だったからではないかと言われている。
結局、小諸駅は新幹線のルートから外れてしまい、地方ローカル線のひなびた駅になってしまったのだ。
小諸とは対照的なのが、新幹線の駅のできた「佐久平駅」で街は新たに区画整理され大型のショッピングセンターもできた。
今となっては小諸市の商圏は佐久市のもとに入ってしまった感がある。
時代はいとも簡単に都市の運命を決めてしまう。
清里と小諸の敗者復活を願うばかりだ。